ローゼン・アントコールFC


anetcurleローゼン・アントコールFC Rowzene Antcurle FC

■1891年/イギリス系移民や通訳によって創立
■本拠地/アントコール市
■アントコール・シティ・スタジアム(45.000人収容)
■リーグ優勝7回/国王杯10回/銀行杯6回

1891年にアントコール・ナショナルFCとしてアントコール市で創立され、公式にサシャーユ最古のクラブとして記録されている。当時はイギリス系移民や通訳、地元漁師で構成されていた。

■エンブレム

漁師を示す錨のモチーフに、アントコールの頭文字「A」と67年に合併したローゼンFCの頭文字「R」があしらわれている。創設者の出身地であるイギリスに因んだセント・ジョージ・クロスと、アントコール市章の緑のスリーラインが配置された。

■概要

創設者はロンドン生まれのケント・ダグラスである。サッカーの他にクリケットやテニスも行ったが、創立数年でサッカークラブとして本格的に活動。不定期に海外でサッカーの試合を行ったという。93年にサシェリアFCに5-1で勝利したこの試合は、記念すべき初の国内公式戦である。

1903年以降、公式・非公式のカップ戦に参加することが多くなり、強豪としての地位を確立していく。09年に初開催されたアルウィレム卿杯(現在の国王杯)ではアーマル・ディレイクトに率いられ圧倒的な強さで優勝を果たした。 11年にリーグ戦が開始されて以降は、豊富な戦力に支えられた圧倒的な存在感でリーグを席巻。リーグの初代王者や史上初の連覇(11-12)を記録するなど、10-20年代は黄金期を迎えた。当時の代表選手もほとんどがアントコールの選手であった。

当時は多くのクラブが国営企業や資産家の傘下に入る中、アントコールFCは地元の漁業連合と海運連合によって民間共同運営されていた。そのため世界恐慌の影響で国営・金融関係のクラブが資金難で低迷する状況でも安定した強さを誇ったという。 国営企業が運営したサシェリアFCとは伝統的にライバル関係で知られた。しかし、第二次世界大戦で選手兼船乗りたちが徴兵・出征すると、次第に勢いを無していく。

終戦後、47年にクラブは同好会として再結成。55年にプロリーグ再開後は、所属選手数や経営状況などの関係で初年度から参加できなかった。57年からリーグに加盟したものの漁業連合は資金難に喘ぎ、半ばアマチュアと変わらない境遇での運営がなされた。結果、60年に2部へ降格。65年には3部へ下がり、4部へ下がった66年には漁業連合が運営から撤退を表明した。これに対し激しい抗議活動が起こり、消滅の危機に陥っている。

その翌年にFCローゼンと合併が発表。ローゼンは56年にプロ化した新興クラブで、当時は3部であった。合併の理由は、ローゼンの当時にオーナーが幼少時代にアントコールの試合に熱中したからだという。

その後68年、ローゼン・アントコールFCとして3部から再出発し、69年に2部へ昇格。73年には18年ぶりに1部へ昇格を果たした。74年に降格するが、76年に再昇格後はカップ戦準優勝などを達成し、以降14年に渡って1部で戦っている。

80年代前半にはブルガリア代表だったブレティジらを抱え、84年に3位など復調の兆しを見せていた。 90年に降格後は長らく2部だったが、03年に昇格。その後は下位で残留争いの常連となっていたが、07年に就任したブロッキ監督の下、09年は戦後最高の7位に躍進。10年は5位になるなど、堅実な育成と戦術で上位進出を狙っている。