ルルージュFC


lerougeルルージュFC Lerouge F.C

■1919年ルルージュのフランス人によって創立
■本拠地ルルージュ市
■ルルージュ・ロワジール・スタジアム(14,000人収容)
■リーグ優勝1回/国王杯2回銀行杯2回

■エンブレム

■概要

1919年、避暑地として知られるルルージュでサッカー愛好家により創立された。別荘を構えていたフランス人の資産家・実業家が中心となり、当初の名前は「有閑者」を意味する「ルルージュ・ロワジールFC」だった。

20年、フランス人興行主フィリップ・デュシャンが経営責任者となり、クラブチームとして整備。翌年からは地元の漁師とフランス人の混成チームでリーグへ参入した。しかし漁師とバカンスで訪れるフランス人の間で軋轢が生まれ、芳しい成績は残せなかったという。結果、戦争悪化でリーグが中断されるまで最下位を7度を記録している。

戦時中、海軍基地が建設された影響でルルージュは壊滅的な被害を受け、外国人の別荘や邸宅も破壊。戦後は復興もままならず、クラブの中心だったフランス人たちは経営から撤退している。

55年のリーグ再開時には資金不足などで再結成が出来ず不参加。 そんな中、56年に漁業組合の有志が中心となってFCアルティボン・ルルージュを創立。ルルージュ・ロワジールFCのロワジール・スタジアムを再建し、リーグ参入を果たした。屈強な漁師によるパワープレイを基本戦術とするフィリップ・ガゼルド監督の方針もあって徹底した肉弾サッカーを敷き、瞬く間に再開当初のリーグで強豪に成長。59年にリーグ2位と国王杯優勝を成し遂げると、60年にはリーグ初優勝を達成した。

60年代後半からルルージュが再び避暑地として整備され始めると、徐々に国内外の資産家が集結。68年にサシャーユ人ホテル王ジュベがクラブを買収し、パワープレイ一辺倒で低迷の兆しが見られたクラブ強化に着手した。なお、この買収を巡っては漁業連合との間で激しい衝突があったというが、数年の話し合いを経て円満に経営が譲渡されている。

しかしクラブ強化は進まず、選手獲得は海外の2部、3部級の選手がほとんど。71年には2部へ降格し、74年にはジュベが破産してルルージュ観光協会へ経営権が移譲。若手育成のため下部組織の充実が図られたが、76年に地域リーグへまで降格した。

その後もパワープレイを基本とするスタイルは変えず、81年に2部へ昇格。82年には1部へ復帰した。80年代後半からはルルージュの発展もあって潤沢な資金を手に入れたが、選手補強に関しては失敗が続いている。

90年代以降は1部と2部で昇降格を繰り返しているが、94年は名将シミズ監督に率いられて国王杯を制覇。97年にはリーグ2位に躍進した。現在は優れた育成環境を持つクラブとしてサシャーユ国内で知られた存在である。