桐之坂の過去・現在を比較
「桐之坂界隈繪圖」に描かれている桐之坂は、大名屋敷が建ち並ぶ場所でした。
現在の地図と比べると、大名屋敷は企業ビルに変わり、一帯がオフィス街となったことがわかります。
切絵図は縮尺や方位が一定ではないためそのまま現在の地図と比較することはできませんが、この辺りを切り取って比較します。
現在の地図と比べてみると、主要な道路はあまり変化していないようです。
場所ごとの変化は以下の通りです。
①「蛯原河内守屋敷」…現在は「生駒印刷本館」「別館」が建っています。
②現在の桐之坂で最も大きな道路である「浅見通り」は、「蛯原河内守屋敷」の前を通っていました。当時は「浅見小路」と呼ばれたそれほど大きな道路ではありませんでしたが、明治時代に拡張されました。
③「麻生季十郎屋敷」…現在は「カメダ精密」「サナダテック」「リンドー電機」「勤労福祉会館」が建っています。
④⑤かつて大名屋敷には日本庭園が必ずありましたが、近代化の過程で多くが失われました。そんな中、④⑤の場所は庭園がほぼそのままの形で残り、公園として親しまれています。
④の「中尾公園」は「中尾文太郎屋敷」にあった庭園が明治時代に移設されてできました。
⑤「中梗寺敏秀屋敷」にあった庭園は規模が大きく、明治時代にこの土地を買い取ったイギリス人実業家の意向で公園として整備されました。現在は「中梗寺記念公園」として花見の名所としても知られています。
⑥「天景寺」…切絵図には池や林が描かれるなど、桐之坂で最も大きな寺として知られました。明治時代になると敷地内に簡易病院「天景寺国民療養所」を開き、昭和初期まで周辺住民に欠かせない存在でした。戦後、この場所を春応堂病院グループが買収し、昭和32年に「春応堂厚生病院」が建設されます。
⑦「是光寺」…現在も同じ場所にありますが、やや規模を縮小しています。近くある岡立本町や尾田嶋町には大学が多く(「横山大学」「五門大学」「桔梗女子大学」など)そこに通う学生たちの寮「岡立学生会館」が脇に建っています。
⑧井出内神社…江戸時代から学業成就の願掛けで知られ、現在は「横山大学」や「五門大学」の受験生の間で人気のスポットとなっています。
⑨この辺りは現在「百瀬坂」と呼ばれていますが、これは「百瀬善家屋敷」がこの辺りにあったことに由来します。百瀬家は坂を上りきった場所に門があり、目印としてよく知られていたそうです。